これは「迷走する史料・仙川駅付近の切通しは開業当初からあったのか昭和2年に掘られたのか?」の続きです。前回までのあらすじ無しで結論だけ書きます。
灯台もと暗し、というわけで京王帝都三十年史53pに写真がありました。
この写真に写っているのが、おそらく改良を要する急勾配です。
従って、写真奥の平地に仙川駅が存在すると考えられます。仙川は堀割の駅ではないことになります。
というわけで、京王帝都三十年史の本文の記述が誤っていた、という可能性が高そうに思われます。
感想 §
繰返し見ると発見がある、というのも事実だと痛感。読み取ることができる情報が増えているという実感もあります。